「国はDXを推進しているのに、なぜ職場は今日も紙だらけなんだろう」——。
現場で働きながら、そんな矛盾を感じたことはありませんか。厚生労働省が介護DXを声高に叫ぶ一方で、現場では手書きの申し送りノートが今日も現役だったりします。
私はエンジニアとして働きながら、重度訪問介護の現場ヘルパーも兼任しています。「介護の現場のリアル」と「ITシステムの仕組み」、その両方を知る立場から見ると、DXが進まない理由は「ITスキルがない」「お金がない」という表面的な話ではないことがよくわかります。
この記事でわかること:
- 介護DXが進んでいない現場の実態(数字付き)
- 「なぜ進まないのか」の構造的な原因(3つのボトルネック)
- 現場のエンジニア目線で見た、国保連システムの壁の正体
- DXが「うまくいった現場」に共通する考え方
【結論】介護DXが進まない理由は3つのボトルネックが重なっているから
結論から言います。介護DXが止まっているのは、表層的な課題(スキル不足・コスト)の奥に、3つのボトルネックが層になって重なっているからです。
ある2024年の調査によれば、DXが十分に進んでいない介護職場は8割以上に上ります(Nursing-plaza「医療・介護業界のDXに関するアンケート」)。裏返せば、きちんと進められている職場はわずか2割以下という現実です。
この停滞の正体は、次の3つが重なっています。
1. 現場の平均年齢とITへの苦手意識
2. 既存システム(国保連請求等)との連携の壁
3. 「効率化=手抜き」という精神論文化
それぞれ順番に掘り下げていきます。
ボトルネック1:現場の平均年齢とITアレルギー
介護労働者の平均年齢は50.0歳——全産業より6.5歳高い
まず数字から見てみましょう。
介護労働者の平均年齢は50.0歳(令和4年度、介護労働安定センター「介護労働実態調査」)です。全産業平均の43.5歳と比べると6.5歳高く、60歳以上の割合は2割を超えています。
「だからITが使えない」——と言いたいわけではありません。50代・60代でもスマートフォンを使いこなしている人は世の中にたくさんいます。
問題はもう少し複雑です。
「苦手意識」「時間がない」よりも根深いもの
介護DXの調査では、導入時の課題として「職員のITスキル不足」を挙げる事業所が38%あります。しかしこれは、氷山の一角に過ぎません。
現場で実際に感じるのは、「使えない」以上に、「使う必要性を感じていない」という感覚です。
ベテランの介護職員は、長年の経験で培った自分なりのやり方を持っています。「利用者さんのことは全部頭に入っている」「申し送りは顔を見て話すのが一番」——その自信は、本物の実力に裏付けられていることが多い。
だからシステムを導入しても、「なんでわざわざ入力しないといけないの?」となるわけです。
エンジニア視点:「使えない」ではなく「使う必要性を感じていない」が本質
エンジニアとして見ると、これは「ユーザー受容性」の問題です。
どんなに優れたシステムでも、ユーザーが「今の自分のやり方で困っていない」と感じている限り、普及しません。それはITリテラシーの問題ではなく、そのシステムが「誰のペインを解消するのか」が伝わっていないからです。
トップダウンで「来月からこのアプリを使います」と導入しても定着しない。当然の結果です。
ボトルネック2:既存システム(国保連請求等)との連携の壁
日常記録と介護報酬請求の「二重入力問題」
これが、競合記事のほぼ全てが言及していない、構造的なボトルネックです。
介護現場には大きく2種類のデータ入力業務があります。
- ケア記録:日々の介護記録(食事量、バイタル、入浴、排泄など)
- 介護報酬請求:国保連(国民健康保険団体連合会)への給付費請求
問題は、この2つが別々のシステムで動いているケースが非常に多いことです。ケア記録ソフトに入力した情報を、また別の請求ソフトに手入力し直す——いわゆる「二重入力」が、今も多くの現場で日常的に発生しています。
「DXツールを入れたのに、仕事が増えた」という不満の多くは、ここに原因があります。
国保連の伝送システムは設計が古く、APIで繋がらない
なぜこうなっているのか。エンジニア目線で説明します。
介護報酬の請求は、国保連が管理する「伝送システム」を通じて行う仕組みです(国民健康保険中央会「介護保険システム情報」)。
このシステムは長年にわたって維持・改修されてきたものであり、民間の介護記録ソフトとリアルタイムに連携するためのモダンなAPI(アプリケーション間連携の仕組み)が整備されていません。民間ソフト側がそれぞれ独自の変換処理を作って対応している状態です。
2023年に国保連が「ケアプランデータ連携システム」の提供を開始し(愛知県国保連 参考ページ)、この課題の一部に対応が始まりました。しかし普及はまだ途上で、中小事業所では導入が進んでいないのが現状です。
さらに、介護報酬は通常3年サイクルで改定されます。改定のたびに民間ソフト会社はシステム改修を余儀なくされ、そのコストは利用者(事業所)に転嫁されます。これが「介護ソフトは高い」と感じる一因でもあります。
中小事業所がベンダーロックインされる構造
もう一つ、エンジニアが見て気になる構造的問題があります。
民間の介護ソフト会社は、それぞれ独自のデータフォーマットを採用しています。そのため、一度あるソフトを導入すると、蓄積したデータを別のソフトに移行するコストが非常に高くなります(いわゆる「ベンダーロック」)。
訪問介護事業所の約7割は定員9名以下の小規模事業者です。経営体力が薄く、乗り換えコストを負担できないため、使い続けざるを得ない。業界全体として「ソフトウェアの標準化・オープン化」が進んでいないことが、この問題を長引かせています。
ボトルネック3:「効率化=手抜き」という精神論文化
「丁寧に手書きすること=プロ意識」という価値観の壁
「手書きのほうが気持ちが伝わる」「デジタルにしたら介護の質が落ちる」——こうした声を、現場で聞いたことがある人は多いと思います。
これを単純に「古い考え方だ」と切り捨てるのは間違いです。
介護という仕事は、技術だけでなく「人と真剣に向き合う姿勢」が本質の一部をなしています。手書きへのこだわりの奥には、「利用者さんの尊厳を守りたい」という真剣な思いが宿っていることがあります。
その思いは本物だし、理解できる。でも、「記録の形式が手書きかデジタルか」と「介護の質」は、本来まったく別の話です。
現場ヘルパーとして感じたリアルな摩擦
私自身も似た場面を経験しました。
ある職場で、申し送りの一部を電子化(共有ドキュメントでの記録)にしようと提案した時のことです。「そんなやり方では伝わらない」「今まで通りやれば問題ない」という反応が多数を占めました。
注目すべきは、反対した職員の中に実際に業務で困っていた人も含まれていたことです。「申し送りがうまく伝わらなくて困っている」と普段は言っているのに、改善提案には反発する——この矛盾は、「効率化ツールへの信頼がない」というより、「変化そのものへの不安」から来ていると感じました。
私が伝えたいのは、現場職員が「抵抗勢力」なのではない、ということです。
「なぜ変わらなければならないのか」「変わることで自分の仕事はどうなるのか」——その疑問に誰も答えてくれないまま、ツールだけが降ってくるから、拒否反応が生まれる。変化への抵抗は、じつは「安心できる説明を求めているサイン」だと思っています。
真のDXは「トップダウン」ではなく「現場のペイン解消」から
「便利になるよ」という説明では、現場は動きません。
「これを使えば残業が月5時間減る」「夜勤の申し送り準備が10分から3分になる」——こういう具体的な「自分ごとの旨み」を先に示すことが、DX普及の第一歩です。
介護DXがうまく定着した現場に共通するパターンがあります(介護のコミミ「DX導入事例」等より)。
- 現場主導での小さな改善から始めた(経営層から押し付けない)
- 最初の成功体験を作ることを最優先にした(全部一度に変えない)
- 「なぜ変えるのか」を丁寧に説明した(目的を共有した)
ポイントは「小さな成功体験の積み重ね」です。「このアプリを使ったら確かに楽になった」という体験を一つ作れれば、「次もやってみようか」という空気が生まれます。文化は、命令では変わらず、体験によって変わります。
まとめ:介護DXを加速させる鍵は「翻訳者」の存在
ここまで3つのボトルネックを分解してきました。整理すると次のとおりです。
| ボトルネック | 本当の問題 |
|---|---|
| 平均年齢とITアレルギー | 「使えない」ではなく「必要性が伝わっていない」 |
| 国保連システムとの連携の壁 | 制度・インフラの構造問題。個別事業所では解決できない |
| 精神論文化 | 職員の思いは本物。「変化への不安」を解消する説明が必要 |
これら3つを同時に抱える介護現場に必要なのは、3つの言語を翻訳できる人だと私は思っています。
- 経営層の言葉(コスト・生産性)
- 現場職員の言葉(利用者のため・業務の負担感)
- エンジニアの言葉(システムの仕組み・連携の限界)
この3つを橋渡しできる「翻訳者」がいる職場だけが、DXを本当の意味で前進させられます。
エンジニアと現場ヘルパーの二刀流という立場から、私はそういう役割を果たしていきたいと思っています。このブログも、その一つの試みです。
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※本記事の情報は執筆時点(2026年5月)のものです。制度・数値・リンク先の情報は変更される場合があります。介護保険制度に関する最新情報は、厚生労働省「介護DXの推進」の公式ページをご確認ください。
著者プロフィール
エンジニアとして働きながら重度訪問介護の夜勤専従ヘルパーを兼任。要介護5の父の在宅介護をきっかけに介護業界へ。「テクノロジーと介護現場の橋渡し」をテーマにゆたりばブログを運営。

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